平成22年9月 達磨が武帝に説いた教えとは
その当時(8月を参照)の一種の禅ブームにのって、インドからも禅の指導者が何人も渡ってきた。達磨(生年不詳、没年530年ごろ)もその一人だったと考えられる。
達磨は、南インドの香至国の第三王子として誕生し、般若多羅(仏法第27祖)の法を継ぎ、28代目の祖師・菩提達磨となる。
達磨が中国に渡ったのは520年ごろの南北朝時代だといわれている。海路を経て上陸した広州は梁の国に属し、武帝が納めていた。「景徳伝燈録」には、武帝と達磨は次のような問答を行ったという有名な話がある。
まず、武帝が達磨に問うた。
「私はこれまで寺を造ったり、経を写したり、数えくれないほどの僧を出家させてきた。どれほどの功徳があるだろうか」
達磨は答えた。「無功徳」
「なぜ無功徳なのだ。」
「そうしたことは真の功徳と言えるものではないからだ。迷いの世界に属するもの、影が形にしたがっているようなもので、実ではない。」
「それでは問う。真の功徳とはなにか。」
「淨らかな智慧は、妙円にして体おのずから功徳である」
・・・・・
いくら問答もくり返しても、武帝に達磨が説く教えの真意は伝わらなかった。
達磨に関しては、明らかな伝記は存在しないが、「景徳伝燈録」によると、達磨は武帝との謁見の後、揚子江を渡って北魏に行き、崇山の少林寺で独り壁に向かって坐禅を始めたとされる。
面壁9年の始まりである。