平成22年7月 釈尊入滅後、教団はどのように発展したか
釈尊の死後も、教えが伝わるよう、弟子たちが集まり話し合いがもたれた。
釈尊の教えは[経」として、教団の規律は「律」としてまとめられた。
その後、この[経」や「律」の解釈やどれを重んじるかなどの意見が分かれさまざまな派が生み出された。この分裂は新たな勢いをもたらし、仏教はさらに広がり、発展していく。
紀元前後のころには大乗仏教と上座部仏教が生まれ、多くの仏や経典が作られていきました。同時にさまざまな派が生まれました。その中の一つが「禅の教えである」。インドにおける禅の継承者には、大十二祖馬鳴(めみょう)、第十四祖竜樹(りゅうじゅ)第二十一祖世親(せしん)などがいました。
紀元前二世紀ごろ、中国とインドの交通路が開かれ、交流が盛んになって行きました。そして、隋・唐の時代には、[華厳経」を研究する華厳宗、「法華経」を基礎とする天台宗、極楽浄土への往住を願う浄土宗、また密教諸派が栄え、唐・宋の時代になると、禅宗が旺盛を極める時代となります。