九月お話は、日本文化に深く息づく禅の精神へのお誘いです。

他人の目や世間を気にすることなく、ひたすら自分自身心の内奥を見つめ悟りに到達しよう、という禅の教えでは 命を保つ必要最小限のものがあれば、それ以上求めない。その表れとして、きらびやかな贅沢をいましめ、シンプル かつ、簡素な生活に徹しきることを、求めるようになった。
この禅の生き方や考え方は、日本に禅が伝えられたころ、政権の座をまさしく手にし始めた武士の価値観とよく符合していた。 それもあり、禅は鎌倉時代以降、武士の間に広がり、その後、民衆にも普及していったのである。
また、頭で考えるのではなく、体でも、つまり作為や振る舞いからも、悟りの境地に近づくことを望んだ禅は、宗教的な面以外でも強く支持された。たとえば、諸芸の作法、書画、文芸、建築、造園など、生活にかかわる分野広くに影響を与えたのである。
中でも、茶道、華道、書道、剣道、弓道、柔道など“道”がつくものの根底には禅の精神との接点がある。 スポーツにおける勝負以前の世界や華やかの舞台演出の礎となるわび、さびの境地など言葉で言い表せられない世界など、不立文字の精神が潜んでいる。
そこの境地に近づく方法が、自分とは何者か?を自分自身の“一呼吸”に求めることができる。(私の師―宗忠老師―はよく口にしていた。)