達磨大師和尚の掛け軸

新年平成21年の始まりです。

禅宗寺院では新年の床の間に達磨さんの掛け軸を掲げます。新年の挨拶に来られた人は、書院に通されまずは、床の間の達磨さんにごあいさつ申しあげることになります。本年も、達磨さん(真理の心有している人)に、心を磨くことを実践し生きていくことを示すご挨拶をします。三拝を行います。

達磨さんの説いたなかで、武帝(520年ごろ中国南北朝時代といわれる、治めていた王)との功徳についての問答をお話します。これは「景徳伝燈録」(けいとくでんとうろく)に収められた、武帝と達磨さんの有名な問答であります。

武帝が達磨さんに問いかけた。 「私はこれまで寺を作ったり、経を写したり、多くの僧を出家させた。どれほどの功徳があるのであろうか。」

達磨さんは、答えた。「無功徳」 

「なぜ無功徳なのか。」

「そうしたことは、真の功徳ではない。迷いの世界に属するもの、影が形にしているようなもので、実ではない。」

「それでは問う。真の功徳とは何か。」

「浄らかな智慧は、円妙にして体おのずから功徳である。」・・・・

いくら問答を繰り返しても武帝に達磨の真意は伝わらなかった。 こののち、達磨さんは、揚子江を渡り北魏に行き、少林寺で9年間独り壁に向かい坐禅することとなるのである。

面壁九年のはじまりである。達磨は、中国に渡るときすでに悟りを開いていたから、この九年間の坐禅で悟ったということには、当てはまらない。しかし、悟りの行を実践し、より深遠な悟りの境地を得たことは確かであろう。

達磨さんは、「本来、清浄な自性に目覚め、成仏せよ」と説いた。この教えは、幾多の流れとなり中国全土に広がることとなる。 そして 日本にも伝わるのである。