平成23年6月
慧能の二大弟子から生まれた五家七宗
六祖慧能には、南獄懐譲と青原行思という二人のすぐれた弟子がいた。南獄懐譲の系から潙山霊裕と弟子・仰山慧寂による
「潙仰宗」、臨済義玄による「臨済宗」、また青原行思の教えを継いだ洞山良价や曹山本寂により[曹洞宗」が生まれ、
雲門分偃の「雲門宗」、法眼分益の「法眼宗」が生まれた。これらを総称して五家(ごけ)という。臨済宗はのちに、
黄龍慧南の黄龍派と楊岐方会(おうぎほうえ)の楊岐派に分かれ、この2派を加えて五家七宗ともいう。
なかでも、臨済義玄(生年不詳、没年八六七)は、「無事是貴人(ぶじこれきにん)」(やすらかなこころ、仏性を
自分の外でわなく内に求める人こそあがねられるべき人だ) あるいは 「求心の歇(や)む処即ち無事」(求める
心が止んだ時、安らかになる)などの言葉で、独特の新たな世界観を説いた。同時に、禅宗のもっとも高い到達点だ
といわれる「臨済録(りんざいろく)」を著し、中国禅においてもっとも傑出した禅僧(エースたる)そんざいだった。
次には、中国禅と日本の禅宗のつながりを見てみます。